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2012/11/12

「変わるもの変わらないもの」

吉野(奈良県)と聞いて何をイメージするでしょうか?
手塚治虫の「火の鳥 太陽編」にも描かれていたように、
天武天皇が壬申の乱の前に隠棲した場所。
あるいは後醍醐天皇が南北朝時代に吉野朝廷(南朝)を置いた場所。
(分かれていたとはいえ、一時は首都でもあった場所なんですね。)
奈良に近いだけあって、歴史はとても古い。
僕はそんな印象でした。
先日、吉野神宮駅近くにある吉野中央木材株式会社さんにお邪魔して、製材過程を見学させて頂きました。
吉野杉が有名なのですが、普段木材に接する機会はあまり無く、高級木材だという印象程度しかありません。
話を聞くと、吉野の林業の歴史は古くは室町時代くらいから続いていて、大阪城や伏見城の築城にも使われていたようですが、吉野杉が全国的に有名になったのは江戸時代。
建材ではなく酒樽に用いられるようになったからとの事。
酒樽?と聞いて一瞬ピンと来ませんでしたが、オープニングセレモニーなどで鏡開きに使われるあの酒樽です。
たまに神社に奉納されている物も見かけます。
吉野杉は密植するため一般的な杉材より密度が高く、酒樽や升に使うのにうってつけだったのですが、当時の吉野は林業だけの町。
木材を切り出しただけで、吉野川から紀ノ川へ木材を運び、下流の製材所に買い取られて全国に広がっていきました。
酒樽に使う木材を製材所に卸しているだけではいずれ廃れてしまうという危機感から、1940年頃に吉野の町に主に建材として出荷する製材工場を作る動きが始まり、今の吉野の風景になったそうです。
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見渡す限り製材工場が軒を連ねています。
早くからそうした動きをされていたことが功を奏してか、酒樽の需要がどんどん減っていき、建材としての吉野杉の方が有名になっていきます。
僕もこんな酒樽を見たことなど、これまで2~3度しかありません。

そんな歴史のある吉野の林業も、新築住宅が売れず、新しい建材や工法が次々と出てきている現在にあって、建材としての木材の需要も一時に比べてかなり減っているものと思います。
それでも時代に合わせて吉野の林業を変化させてきた歴史を持つ人達。
熱心に教えてくれた吉野中央木材株式会社の石橋専務のような若い経営者達が吉野の新しい歴史を作ってくれそうな気がしました。
木の皮を剥ぐ機械。
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巨大なバンドソー(ベルト式の電動のこぎり)で「分解」と呼ばれる切り分け。
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板材として使う部分と、割り箸や紙になる部分
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朽ちた木に見えますが、これは製材前の在庫品。
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プレーナー(電動カンナのようなもの)で綺麗な表面になります。
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何メーターもある鋸をメンテナンスする部屋。
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