プロの世界は結果が全て
スポーツ番組なんかを見ているとよく聞く言葉です。
何かを生業としてお金を稼ぐ以上、結果が全てなのは当たり前。
それなのに僕達外側の人間は結果だけしか見ない、
なんていうことはありません。
苦労人とか努力家が大好きです。
少ない努力でうまく成功している人の話を聞いても、ちっとも面白くありません。
そんな人が周りにいたら、危うく舌打ちしてしまいそうになります。
内側の人間だったらどうでしょうか。
もしも自分が、もの凄く頑張っているのになかなか成果が出せない選手を抱えているオーナーだったら。
頑張っていなくても、求められていることに成果が出せる選手の方を評価してしまうと思います。
(なにも成果というのは数字の事だけではありません。)
それは評価する側にとって、
努力は未来であり将来性。
成果は目に見える現在。
リスクを負っていない外側の評価者は、努力して未来を現実のものにしたから努力家や苦労人に共感します。
リスクを負っている内側の評価者は不透明な未来よりも目に見える現在を簡単に評価してしまいます。
しかし評価される当事者にとっては全く反対。
努力は現在のこと、成果は未来のこと、になってしまいます。
未来の事(成果が出てから)よりも現在頑張っていることを評価してほしい。
普通考えたら当たり前のことですよね。
そこに評価者とのギャップが生まれます。
視点が逆である以上、現在の為の努力では成果は永遠に未来のまま。
いつまでたっても成果は掴めません。
未来を見て現在とのギャップを埋める努力をして初めて成果が近寄ってくる。
世の努力家や苦労人と言われる人たちはみんな成果を出しています。
成果を出しているから僕たちはその存在を知ることができるのです。
反対に評価する側は、「される側の現在」を視る目が必要ですね。


エスカレーターを使わず階段で登る人が増えた気がします。
僕もできるだけ階段を使うようにしています。
エスカレーターを使ったら、ボーッとしていても次の階に連れて行ってくれるのに、
どうしてわざわざ階段を使うのでしょうか?
当たり前ですが、運動を兼ねて、ダイエットを兼ねて、という動機が多いと思います。
僕は太腿を鍛える為に階段を使います。
ところで、エスカレーターを使わずに階段を使う人が一番多い場所は中心部の大きな駅です。
エントランスに大きくて広い階段があり、脇に1本エスカレーターがある。
普通にまっすぐ進むと階段を使うパターンですが、それでも階段を使う人からは強烈なこだわりを感じます。
小さい駅で、階段とエスカレーターが半々くらいの場合。
疲れているときは階段の直前まで悩んで、やっぱりエスカレーターを使おうと心が折れたり、その逆もあったり。。
普段からわざわざ階段を使って登る人は、痩せたいとか体力をつけたいとか、「未来」への願望を持っているから階段を使っているわけです。
見たこと無いですが、大きな駅の広いエントランスほとんどがエスカレーターで、小脇に1本だけ階段がある。
そんな変な駅があっても、階段を使って登れるだろうか。
ほとんど皆がエスカレーターを使っているのに自分達は階段を使って登れるだろうか。
そんな事を感じた選挙でした。


そこに行かないと無いもの、そこに行けば会える人達、そこにしかない居心地の良さ。
「居心地抜群のレコード店を通して繋がる出会い」
フィッシュストーリーのレコードショップのようなこのお店。
このmore redordsの記事を読んで、僕にもそんな場所があった事を思い出しました。
まだ学生だった頃、学校の近くの大阪市福島にあったVelvet formというカフェ兼ショップ。
他では中々手に入らない服が売っていたり、音楽に詳しいオーナー・ワタルさんにお薦めのバンドを教えてもらったり、いろんな集まりに参加させてもらったり。。
RelaxやTOKIONなどの雑誌もそこで読み漁っていました。
今はもうそのお店はありませんが、そこで知り合った人たちが今は多方面で活躍しているのを聞くとわくわくします。
そのオーナーのワタルさん、今はカバンを作っています。
http://canvas-tm.com/

お店の写真
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(ワタルさん、勝手に画像借りました。スイマセン。)
もともと服とかアートとか好きでしたが、このお店が単に珍しい服が売っているだけのお店だったら通う事は無かったですし、音楽やアート好きが集まるカフェだったとしても多分通っていませんでした。
そこに行かないと無いもの、そこに行けば会える人達、そこにしかない居心地の良さ。
そんな思いに耽っていた時に、岸和田のFood laboで催されたカバンの即売会兼パーティーに行く事に。
やはり結構身内のノリで、僕が会った事無い人達ばかり。
オーナーも売りますっていう感じでも無く、集まっていた人達もカバンを買いますっていう感じでも無く、楽しそうにワタルさんと話をしていました。
そう、人が集まる場所の中心には必ず人がいるのですね。
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何かの説明をする時に、安易に絶対という言葉を使ってしまうことは無いでしょうか?
絶対大丈夫!とか絶対無理!など、ついつい言ってしまいますよね。
相手に納得してもらう時に使うこの言葉、意味が大きすぎてビジネスでは中々使えません。
「絶対大丈夫です。」なんて胡散臭い。
「絶対大丈夫だと思います。」だと、胡散臭い+トーンダウンしてしまって何が言いたいのか分からない。
なぜ胡散臭く聞こえるのか。
子供の時からずっと思っていたことですが、ゼッタイという言葉が言い安すぎる気がします。
会話や文章に織り交ぜると小気味良く聞こえます。
有名なポップ・ミュージックにもたくさん登場します。
それが英語だったらAbsolute アブソリュートです。
何とも仰々しい響きでそうそう使えない気がします。
翻ってany meansみたいな良い響きの英語を日本語にすると「いかなる手段でも」です。
そんな言葉を日常的に使うことなんてできません。
これもうまく使えなさそうです。
そんな事で悶々としていましたが最近使える言葉を発見しました。
「確信しています。」です。
日本語では「思います。」で語尾を柔らかくしがちですが、「確信しています。」に変えるだけで力強く聞こえます。
政治家みたいな言い回しに聞こえますが恥ずかしがってはいけません。
確信していますと言い切るのです。
クライアントにこの人の言っていることは確かだろうかと不安にさせてしまっては、それまでの努力が全て水の泡になってしまうのですから。
僕は英語のニュアンスについてはさっぱり分からないので、一体何の話やねんと思われたらご一報ください。


物づくりに携わる人間として特にゴミに対しては注意を払っているつもり。
こんな記事を見かけると驚きます。
英国の数百トンの生活ゴミ、中国が「拒否」して送り返す。
ゴミは良くも悪くも街の顔です。
外国に行って驚いたゴミと言えば、
ニューヨークでは新聞紙
ベルリンでは犬の糞
ミラノでは石畳の隙間に埋め尽くされたタバコ
外国に行くと日本の街のゴミに対する意識が高い事を実感しますが、
一個人としてはどうか。
オフィスの前の道路を掃除する活動を始めてもうすぐ10年になります。
以前はもっと人通りの多い所で働いていたので、毎日どんなゴミが道に棄てられるのかを見てきました。
数えていたわけではありませんが、多い順に書くと
タバコ
爪楊枝
コンビニのパンやおにぎりなどの食べ残し、パッケージ
ガム(禁煙ブーム後)
ちなみにガムは一日置いて硬くなってからが剥がしやすい。
口から出されるものがほとんどです。
何故か鼻紙とか書類とかそんなゴミはほとんどありません。
僕の住む大阪市では、毎週清掃車が道路を掃除していなかったらもっとゴミで溢れていると思います。
日本人がゴミに関する意識が高いかどうかは人それぞれ。
しかし日本の行政のゴミに関する意識が高いということは確かです。
イギリスごみ事情
ドイツ・ゴミ事情(入門編)
フランスでゴミ分別
イタリアのゴミの分別
アメリカには、ゴミの分別がない。