「成るべくして成っている」

2013/08/26

先日、あるインテリア関係の会社の方との打ち合わせでこんな話がありました。
海外での展開を視野に入れた一般製品の開発について。
結論的にはシンプルなデザインにしよう、ということなのですが、なぜそんな結論に至ったかを思い返しました。
大枠の商品計画が出来ていて、見た目のデザインをどうしようかという時、いわゆるデザインの操作をする事があります。
表現の操作と言っても良いかもしれません。
このユーザー層はこういう雰囲気が好きだからこんなデザインしよう。
こういったお店で買う人は、こういう表現では通じないからこんなデザインしよう。
いろいろ表面的な操作を工夫ます。
もっと言えば、あえて見た目をかっこ悪くすることも珍しいことではありません。
世の中にあるほとんどの製品がデザイナーがデザインしているのに、そう思われていないのはこの為でもあります。
個人的には得意ではないというか、好きではないのですが、このプロセスが重要だったりします。
しかしこのプロセスが通用するのも日本国内だけの話です。
そして多くの場合、将来を考えると国内需要だけに頼れなくなっています。
じゃあ海外に商品を展開しよう、という考えになるのは当然の流れです。
だからといってよっぽど実績が無い限り一つの国に特化した商品を作れる事は中々ありませんので、ある程度汎用性の利くポイントだけを抑えた機能や品質になります。
この国でも使えるし、日本でも使える、というような物です。
それは僕たちも海外製の製品を使っているのと同様に、日本でも可能だと思います。
更に難しいのは、前述した見た目の操作です。
僕が十代の女性が好むデザインがよく分からないのと同じで、海外のある国のある層(これも曖昧な表現ですが)の好むデザインや、伝統に根付いた美的価値観など理解できるはずがありません。
本当に現地の生活に特化した開発を密着して実践している企業があるように、ネイティブの言語を学ぶようなものだと思います。
つまり見た目(装飾)の操作は、企画者・デザイナーからの距離が離れれば離れるほど振れ幅が大きくなってしまいます。
それについて僕はネガティブには捉えてはいません。
反対に、付け足す事だけが付加価値では無いという価値観は全人口で無くとも共通する価値観です。
だから世界中の人に好まれる製品は結果的にシンプルなのです。
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