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2014/03/31

「良い思い出が助けてくれる」

先日、良い天気が続いた後に、久しぶりに雨が降りました。
僕はなぜか雨が好きで、雨の日はあまり外に出ず、じっとしています。
(ちゃんと仕事はしています。)
そして雨が上がった後、道端の水溜りを見るとある事を思い出し、ふと我に帰る事があります。
僕ははっきり覚えていませんが、小さかった頃、水溜りを見つけると、中を覗きこんだままその場から動かなくなる事が多かったそうです。
子どもはたいてい水溜りが好きだと思うのですが、僕もその1人でした。
薄くはられた水の中に別の世界があるように思えてずっと見ていられました。
空が下に見えるって面白いですよね。
もし水に写った自分を見ていたのだとしたら相当なナルシストな子どもです。
水溜りを見て思い出すことはその事ではなくて、小さな僕が水溜りを見ている間、母親が1時間でも2時間でも、僕が見飽きるまで待ってていてくれた事です。
好奇心を育てる、という事でしょうか。とはいえ、主婦は忙しいはずです。
普通だったら待ちくたびれてイライラしてしまいそうなものですが、母親にとって大事な事は、その日の夕飯を定時に作る事では無く、子どもの将来だったと思うのです。
その記憶はその後の経験で補強され、美談になり、教訓になっています。
大きくなるにつれて、たくさんの事が気になって、いろいろ見たり聞いたり勉強したりして、昔は分からなかったような事が分かってきて、視野が広がり、自然とたくさんの情報が入ってきて、またたくさんの事が気になっていきます。
焦る事もあると思います。
そんな時、水溜りを見るとふと我に帰ります。
目先の事に振り回されて大事な事を見失わないようにしようと。

以前読んだ本の事を思い出したので、ついでに引用します。
何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。
きみたちの教育についていろんな話を聞かされているはずですけど、子どもの時から大事にしてきたすばらしい神聖な思い出、もしかするとそれこそが、いちばんよい教育なのかもしれません。
自分たちが生きていく中で、そうした思い出をたくさん集めれば、人は一生、救われるのです。
もしも、自分たちの心に、たとえ一つでもよい思い出が残っていれば、
いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟<新訳> 光文社 亀山郁夫訳
エピローグより

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