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2013/10/28

「非効率的な近道」

自分で言った事なのに、どういう事だったんだろうと考えることがたまにあります。
先日の講義の時、人に説明する時にはできるだけ言葉の代わりになるものを提示した方が良いという話をしました。
今回もまた抽象的な話になってしまいますが、僕たちの仕事で言うとプレゼンの時です。
それは実体験で、デザインの方向性を決める時に、データやらコンセプトやらの言葉でもそれを図式にしたものでもなく、それを連想させる一枚の写真を見せる事でうまく意図する方向に持っていくことが出来るという旨。
言いながら、これは巷で流行りの非言語化というやつではないかと思いました。
写真ではなくデザインのCGでプレゼンする時にもできるだけ言葉の要らない見せ方が良いし、CGは無くモデル(試作品)だけの方が良い時もあります。
カタログなどの商品の写真でもできるだけ一枚の写真で完結するぐらいが丁度良いし、どうしても補足したいときには一行ぐらいの文が入ってる程度が良い。
文はコピーライターさんの仕事ですね。
これが行き過ぎるとかっこ悪くなるし、足りな過ぎだと自己満足なものに終わります。
さじ加減がとても難しいところです。
だからどんなときにも、できるだけ言葉が要らない方が良いと漠然と思っていました。
改めて考えてみると、同じような事は私生活でもたくさんあります。
私生活でも何かを買う時や決める時は、悩んだとしても感覚で決めてる事が多いと思います。
例えばスマートフォンでもカタログやWEBなどで細かくスペックをチェックするよりも、店舗で実機に触れた物が良く思います。
実機に触れたのに、その場に無いものを買う人はよっぽど好みがはっきりしている人ですね。
スーパーで試食した時も同じですね。
ブランド物などの高価な製品を買う時も、AMAZONで見るよりもショールームに行って何だか高級そうな世界観に浸りほだされた時の方が揺らいでしまうと思います。
そのようなショールームの施工費や家賃や維持費やスタッフの教育費などを考えたら莫大なコストをかけてお客さんに満足してもらえるような工夫をしています。
でもこれらの事は、やろうと思ってすぐに出来ることではもちろんありません。
魅力的な広告やホームページを作るのだって同じことです。
皆頭では非言語的な方が方が良いと分かっていも、それはとても労力が要り、コストもかかり、工夫が必要なのです。
(そもそも、それらの工夫や労力を避けて価格競争や高機能競争をして利益を圧迫していたら本末転倒ではないかと思いますが、、)
逆を言えば言語的な説明というのは、誰でも可能な作業で効率的な反面、すごく遠回りをしている事になりますね。
言葉を駆使しないと説明つかないのであれば、既にたくさん掘られ掘り下げられた同様のものが乱立してる状態です。
会議とか営業などで、たくさん不必要な資料を作っているというような愚痴をよく聞きますが、それも同じように労力と工夫を避けて効率的な遠回りをしているんだと感じているからそんな話が出るのだと思います。
もちろん言語的な説明が不要という意味では無く順番が逆だという事なのですが。
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